もはや学生にとってChatGPTやDeepLを使って課題をこなすことほぼ当たり前になりつつある。大学の語学の授業では、たとえ『自力でエッセイを書いてください』と指示が出ても、現状、何らかのAIアプリにやってもらって、自分は写すだけ(一応、手書き提出が多いらしい)で提出するという人が多いらしい。でもそうやって他力本願で仕上げたものはプロの目には明らかだろう。そうとて、「これはあなたが考えて書きましたか」と本人に確認するのは躊躇われる。クラスルームでのパフォーマンスと家に持ち帰って後で提出するタイプの成果物のクオリティが大きくかけ離れている、なんてことはよくあるらしい。最近の授業では、AIアプリの使用を認めて、+αでそこに書かれていることを学生が理解しているかが確認できるような課題や試験が模索されているという。
(こういう話は、学校教育を終えてから20年以上経っているという人には驚きだろう。もっとびっくりなのは、いまの学生は語学を学ぶのに辞書をもたない。紙の辞書はもちろん、有料オンライン辞書のサブスクもしていない人が多数。そもそも大学に鉛筆やペン、紙のノートも持っていかないという人も急増中。その代わりに、スマホかタブレットを使う)。
武蔵野大学英語教育部会の菅原克也教授から、学校教育における生成AIや翻訳アプリについての興味深いお話を伺う機会があった。その中で、出てきた例が面白かった。
① AI英訳にびっくり、という話
DeelL訳:It is important to have eight portions of food for your health.
元の和文が何か分かりますか?
この英文だけみると、「健康のために8人分食べるのが大事」という意味にとれますが、常識的にすぐにおかしいと気づきます。元の日本語の文章は、『腹八分にしておくと健康によいです』でした。人間の感覚としてすぐに変な文!と分かることが、AIには分からない(今のところ)という例。
② 都内超有名ホテルの宴会で料理名にびっくりした話
ずらっと並んだ料理の一つに”construction”と書かれていたそうです。
何だと思いますか?
答え:「お造り」
だそうです。
他にも、小田急線の「当駅どまり」の英訳に“termination”というコワい表現が使われていたり、JR線の「人の立ち入りがあったため、。。。」の訳”Due to person entrance”という例も挙げられていました。そこまで言う必要ある?ときっと多くの英語ネイティブに感じさせる表現でしょう。
つまり、「外国語習得においてequivalenceを探る感覚が大事なんですよね」、と菅原先生。その言葉のある社会や文化ではそういう言い方をするけど、それはそこでの、特定の文脈でしか通じない。ある言葉を他の言語に訳する時は、ちょっと思考する必要がある、ということですね。日本語の「〇〇」が別の言語の「△△」というような、一対一の訳はない。だけど、少なからずの人が一対一感覚をもって学習している、と指摘されていました。だから、「お造り」が”construction”になる。その辺りを教育する側が理解しておく必要がある。
今のところ、言語教育の現場で大切なのは、機械翻訳の訳を検証できる力、それを補う力だ、と言っておられた。その力は、日本語でいうと、キーボードで何か書いていて、たくさんの同音異義語が出てきてもすぐに正しいものを選択できる、という類いの力だ、と。
翻訳アプリ然りAIテクノロジーは便利ですが、それに伴い、人間も自分の脳を創造的に使うことに意識的にならなければいけないかもしれません。翻訳アプリがアウトプットした情報を丸のみするのではなく検討しなくてはならないし、AIを何のために、どこまで使うのかなどについて自分のポリシーを決めることも大事だろう。さらにAIは「進化」していくだろうから、今のところ、だけど。
それにしてもお話を聞きながら、翻訳アプリを丸写しにした提出物を評価する教師側の作業はなんだか虚しいなと思った。何世紀もの課題だろうが、テクノロジーの発展と人間の労働への影響。つまり、人間にとって、「これできた!」「やってよかった」という達成感の振れ幅が狭まりそう。そうならないためには、どうしたらよいのか。人間の人間たる能力、「考える」ことを安易に手放してはならぬよね。
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